3 Apr 2017

戦前、忠君愛国を国民の道徳とし、
天皇の”おことば”として学校教育で国民に強制された「教育勅語」。
戦後は「民主平和国家」「主権在民」を掲げる日本国憲法に違反している
として廃止されました。
その「教育勅語」を
園児に暗証させている幼稚園がTVなどで紹介され、賛否両論、話題になっています。
「この素晴らしい内容のどこが悪いんだ!」
という人もいます。
どうも見ていると、
あの人がこう言っていたから、そう言っておけば間違いないんじゃないか?と、
自分で問題も読まずに答えを出している人も多いように思います。
まずは問題をよく読んでから自分なりの答えを出してはいかがでしょうか。
以下に「教育勅語」の現代語訳と解説を載せます。
(ウィキぺディアから引用)
現代語訳
(文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』昭和15年(1940年)の
「教育に関する勅語の全文通釈」より。
研究者の間では「全文通釈」と呼ばれる、文部省による公式の現代日本語文法訳を、
現代仮名遣いに改めて引用。
著作権は文部省が所有していたが、著作権の保護期間満了。
朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、
徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、
又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、
国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。
これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、
朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、
人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、
善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、
常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、
万一危急の大事が起ったならば、
大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。
かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。
かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、
それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、
皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。
この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、
又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。
朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
解説
難解であるため、解釈する人によって、複数の解釈が存在する。
公式解釈としては、
明治天皇の上覧を得た「官定解釈」と研究者に呼ばれる井上哲次郎の
『勅語衍義(えんぎ)』(1891年)のほか、
戦前の文部省が折々の時局に合わせて布告したもの、
特に戦前の全ての小学生が学んだ国定修身書の解釈が相当するとされるが、
それらにおいてすら解釈に若干のぶれが存在する。
例えば、文部省発行の修身の国定教科書における「教育勅語」の解釈は、
「第二期修身書」(1910年-)から「第五期修身書」(-1945年)においては
どの年度でもだいたい同じだが、「第四期修身書」では「一身をさゝげて」と解釈されている
「一旦緩??急??アレハ義勇??公??ニ奉シ」の部分が、
「第五期修身書」(『初等科修身』)では「命をささげて」と解釈されているなど、
時局によっては小学生を相手にダイレクトな表現を使ったりするような細かい違いがある。
なお、この部分は『勅語衍義』においては
「国家の為めに死するより愉快なることなかるべきなり」と
さらにダイレクトに解釈されている。
以上引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/教育ニ関スル勅語
確かに素晴らしい、美しい内容が含まれています。
一方、多くの人は首をかしげる内容も含まれているようですね。
良いことは現代に引き継げば良いのでしょうし。
新しい道徳規範として進化させればいい。
そこをあくまで「教育勅語」を礼賛し、その復活を目指す人がいるとすれば、
そこには単純な戦前回帰の思想を感じざるを得ないでしょう。
いずれにしても、
個人的には”国”が国民の道徳を明文化し強制するという事には違和感を覚えます。
各人が、それぞれの心情、信念に基づき独自の国家観をもっていて良いと思います。
それを他人に押し付けない限りは。
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